雨止んで人傘を忘る事なかれ主義

いろんな事をダラダラと

中学1年の途中まで担任だった先生

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今週のお題「思い出の先生」

もう40代も終盤ですが、保育園から高校卒業まで、担任だった先生は全部覚えてます。

その中でも、思い出の先生と聞いて真っ先に思い出したのは、中1の時担任だった先生。

女性の先生で、何歳だったのだろう、今の自分位の年だったのかな?もう少し上だったのかな?

昔だと京塚昌子さん、もう少し新しいと赤木春恵さん、のような感じ。
若い人には、どちらもわからないかな(^^;)

厳しいのだけど、温厚で優しくて肝っ玉母さんのような先生でした。

田舎なので小学校からほとんど同じメンツで中学校に入学。

小学校の時から、ちょっとだけ荒れてると言うか、やんちゃなクラスだったので、女の先生だから入学当初はみんな少しナメていた感じがありましたが、先生の厳しくも優しい人柄が伝わって、すぐにいい関係になっていきました。

クラスの中で何か諍いがあったり、口ケンカがあったりすると、いつも「そんな事言わんと~」と言ってなだめたり、言い聞かせたりしていました。

その先生とはみんな仲良く、言うことも聞いていましたが、学校の中ではやっぱりいろんな事があるクラスであり、またあそこか!という具合だったので、先生も心労が多かったのかもしれません。
その為なのか、先生の体調が悪くなり入院される事になりました。
結核だと知らされました。

しばらく入院されていましたが、ある日全校集会が開かれその先生が亡くなった事を知らされました。
とても悲しいのも当然ありましたが、もしかしたらクラスの事で色々あって心労が重なって、病気も治らず亡くなっててしまったのかと思って、すごく申し訳ない気持ちになったのを覚えています。

今でも、誰かに少し言葉使いが荒かったり、言い過ぎたかなと思う時、先生ならこんな時「そんな事言わんと~」と言うだろうなと思って、少し苦い思い出とともに思い出します。